私はよく講師と生徒を、針と糸にたとえます。講師は生徒を導く針です。子供たちを導くために、針はとがっていなければなりません。世の荒波を越えさせるためには鋭くないといけません。子供たちについてきてもらうためには、光っていないといけません、輝きを失ってはいけません。そのために講師は、努力を怠ってはいけません。そして、子供たちをまっすぐに未来へと送り届けるためには、自分自身が曲がっていてはいけないのです。

講師は、鋭さを保ちながら、光を放ちながら、まっすぐに、子供を導いていきます。しかしいずれ、縫うことを終える時がきます。すると針は必要なくなるのです。もちろん針がついたままの布なんて危なっかしくて使えません。我々がいらなくなって、はじめて子供たちは自立するのです。

卒業の時、一回りも二回りも大きくなった子供たちから、感動の言葉を受けながら、その目にキラッと光る涙を見るために、我々は活動を続けているといっても過言ではありません。

そして、私たちの活動は、子供の縫い目となって残ります。途中で曲がったり、止まったりした縫い目を持った子供たちが、いずれ人様の役に立てるように、また自分自身が親となり、縫うことを始めることができるように、学力だけでなく、人として大きく育ってくれることを願ってやみません。学習することはスポーツと同じ、人間を大きく育てる一つの手段です。教えることを通してそんな感動のある塾であり続けることをお約束します。